A Teacher Reads, Runs and Rambles'

非常勤講師の日常-そろそろ真剣に次のステップへ-

radikoのエリアフリー化、ついでに録音できるようにならないかな^^;)

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ラジオ好き以外には何の意味もないエントリー(笑)

JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力 - TBS RADIO 954 kHzは録音して二度・三度聴くほど愛聴している。3月31日のオープニング、伊集院光はカッコ良かった。

radikoのエリアフリー化にともなう有料化、月額350円について「高いっ」と言い放ち、それに伴う権利により派生するお金を自分を始めとして、永六輔大沢悠里などの主だったパーソナリティが「いらない」と承諾リストのようなものをつくり、少しでも安くなる方向にいかないものか!と提案していた。

ラジオ出演者全員に求めているわけではなかった。自分たちが拒否することで、後輩たちも要求できなくなる必要はない、無料化もネット局との関係を考えると好ましいとは思えないなど現実的。

今回の月額料金350円は、初期投資と運営費をもとに算出したもの。そのことを「覚えておかないとダメだぞ」と聴取者に訴えていた。初期投資が回収できたら安くなるということなのだからと。

ラジオ好きがしびれるような言葉を連発していた。

なぜradikoにエリア設定があるのか不思議でならなかったけど、その理由も少しわかった。もともとradikoは高層ビル・山などによるラジオの難聴取エリアのための対策がきっかけらしい。エリア内だけれども聴くことができない人、そんな人向けの対策。だからエリア外の放送を聴くことはできない。ラジオ好きには有名なアプリがradikoのサーバーに負荷をかけているということも。

エリア外に放送するということになると、いままでお金を出してキー局の番組を勝っていたネット局はたまったもんじゃない。キー局とネット局との関係がおかしくなる。さらに、音楽著作権なり複雑な問題が絡むんだろう。だからポッドキャストやストリーミング放送では音楽が入っていない。そうなると、やはりradikoの有り難みが増す。さらにエリアフリーになるのだから350円なら安いものだ。

500円払ってもいい。なんなら1,000円でもいい。ただし録音できるようになるのなら。著作権の問題があることはわかるけれど、昔はエアチェックもやっていたわけだから、何かそんな方法は取れないものだろうか。

ちなみに3月31日分オープニングの書き起こしがあった!
伊集院光が語る、radiko.jpプレミアム開始の問題点 | 世界は数字で出来ている

江戸時代にサイはいたの?わからずにモヤモヤ中③

前エントリーまで

  • サントリー美術館で開催中の展覧会の紹介サイトに、「サイ」の絵が載っていて、江戸時代にサイがいたのか?とふと疑問思って、ちょっとだけ調べてみたというエントリー。
  • 江戸時代にオランダ商館長を通じて二冊の本が献上された。一冊はヤン・ヨンストン『禽獣魚介蟲図譜』、もう一冊はゲスナーの『動物誌』だ。『禽獣魚介蟲図譜』の方にサイの絵が載っている。作者はデューラー。この絵を日本の本草家・坂本浩然(さかもとこうねん)が模写したのだろうという推測。
  • でも、このデューラーは、実物を見ないで書いたものもあるらしい。そこで、デューラーについてもう少し調べてみた。


デューラーってどんな人

wiki情報だとこんな感じ

アルブレヒト・デューラー(ドイツ語: Albrecht Dürer, 1471年5月21日 - 1528年4月6日)は、ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者。同名の父・アルブレヒトは、ハンガリーからニュルンベルクに移住してきた金銀細工師。

お顔はこんな感じ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8c/Albrecht_D%C3%BCrer_104.jpg/220px-Albrecht_D%C3%BCrer_104.jpg

こんな作品も書いている。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f4/Durer_Young_Hare.jpg/540px-Durer_Young_Hare.jpg
『野うさぎ』、1502年

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ee/Duerer_the_large_turf.jpg/466px-Duerer_the_large_turf.jpg
『芝草』、1503年

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/18/D%C3%BCrer_Melancholia_I.jpg/471px-D%C3%BCrer_Melancholia_I.jpg
メランコリア I』、1514年


デューラーのサイの絵

同じページに探していた「サイの絵」に関する記述があった。

デューラー木版画作品「犀」はリスボン港でのサイの評判を現地にいた友人から伝え聞いた情報によって描かれたもので、デューラー自身はサイを目にしていない。そのため、背中に本来存在しない「2本目の角」があるなど、実際の犀とは異なる。このサイ自体はリスボンから教皇庁へ向かう際に嵐に出会い、海の藻屑と消えてしまったが、デューラーの想像によって描かれた「犀」はオランダの動物学者ヨンストンが手がけた「動物図鑑」(1660年)に登場し、当時江戸時代の日本にもその絵がたどり着いている。このデューラーの「犀の絵柄」は非常に有名になり、1741年にオランダ人のヴァン・デル・メールがインド犀「クララ」をヨーロッパに持ち込んで20年近くヨーロッパ各地を巡業し、「実際の犀の姿」が広く知られるまでの間、様々な媒体に繰り返し描かれ続けた。


やっぱり実際には見ていなかったんだ。日本に辿り着いたことまで書いてある。Wikipediaすごいな。後半に書いてあるインドサイ「クララ」がヨーロッパ各地巡業については、この参考文献が紹介されていた。

Amazonで確認するとお手頃な古本もある…興味深い…ポチってしまった(笑)まったく知らなかったけど、この絵はとても有名らしく、しっかりwikiに項目が立っていた。
犀 (木版画) - Wikipedia


続きはは本が届いて読んでから更新してみよう。調べてみればいろいろ出てくるもんだ。

江戸時代にサイはいたの?わからずにモヤモヤ中②

昨日の続き

サントリー美術館で開催中の「のぞいてびっくり江戸絵画」展の案内に左の「サイ」の絵があった。

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この絵を見て、江戸時代にサイがいたのかと思ってびっくりして、ググってみたけど答えがわからずというところまで。


ヤン・ヨンストン『禽獣魚介蟲図譜』

その疑問を同僚の獣医の先生に聞いてみた。獣医なので動物に関係することだから、知っているか調べる手立てを知っているかと思って聞いてみたのだ。さすがプロ。私がググっても出てこなかった資料が出てきた。その絵がこちら。

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似ている。獣医の先生は、この絵を模写したのではないかと推理していた。

この絵は、オランダ商館長ヘンドリック・インディックが、1663年に江戸幕府に献上した図鑑に掲載されている。その図鑑とは『禽獣魚介蟲図譜』(1660年アムステルダム刊)。この図鑑が著者はオランダのライデン大学教授ヤン・ヨンストン。略歴は以下のとおり。

ヨンストン【Johannes Jonstons】  1603‐75ポーランド出身の医学者・博物学者。英名John Jonston。プロイセンのトルン、スコットランドのセント・アンドルーズの大学で、植物学と医学を修めた。1640‐55年ライデン大学医学部教授。55年に引退して著述生活に入った。江戸時代、ヨンストンの《鳥獣虫魚図譜》(1660)の蘭訳本が日本に舶来した。幕府の医官・野呂元丈は、通詞の通訳で、この本の内容について質問し、1741年(寛保1)に《阿蘭陀禽獣虫魚図和解(オランダきんじゆうちゆうぎよずわげ)》1冊をつくった。

この図鑑の正確さ、リアリティに驚いた人々が、後に「蘭学」と呼ばれる新しい学問を生みだすことになったらしい。

図鑑について
印刷博物館:コレクション探訪/ヨンストン「禽獣魚介蟲図譜」
ヤン・ヨンストン『禽獣魚介蟲図譜』個人コレクション


デューラーのサイ

この図鑑の「サイ」を描いたのがデューラーなのだけど、同じく『禽獣魚介蟲図譜』に触れているこのサイト:ヨンストン「禽獣魚介蟲図譜」(1660) | Flickr - Photo Sharing!
にはこう書いてある。

デューラーはその絵の作成にあたり伝聞で動物の特徴を描いただけで実際は見たことがなかった。現実に実在する動物と架空の動物が混ざって描かれている。また当時の日本人が全ての動物を知るはずもないので、このような描写方法で何処までをフィクションとして何処からをノンフィクションとして捕らえていたのか気になる。

それは私も気になる。続きはまた次回…

江戸時代にサイはいたの?わからずにモヤモヤ中

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/photo/0000036000/0000035940/exhibition_visualm.jpg

サントリー美術館でこんな展示会を開催中。

のぞいてびっくり江戸絵画-科学の眼、視覚のふしぎ- サントリー美術館

紹介文みてもかなりおもしろそう。

江戸時代後期の日本には、蘭学の振興とともに、顕微鏡や望遠鏡など「視覚」に対する従来の常識を一変させる光学装置が海外からもたらされました。西洋の遠近法を用いた風景図や、顕微鏡による知見を取り入れた拡大図、博物学の知識を踏まえた写生図なども生まれ、江戸絵画は大きな変革期を迎えます。また、鏡や水面に映る映像、および影絵への関心も高まり、その面白さに注目した作品が多数制作されました。本展では、こうした江戸時代後期に花開いた新しい〈視覚文化〉を、小田野直武、司馬江漢、葛飾北斎歌川広重らの作品を通してご紹介します。


サイトを見ていたら、この絵のところで目が止まった。

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/photo/0000036000/0000035940/dlineimgl1_4.jpg

「えっ江戸時代にサイがいたの?」というのが最初の感想。象の絵は見たことがあるんだけど。気になって作者のことを調べてみた。


作者は坂本浩然(さかもとこうねん)。略歴をググってみるとこんな感じ。

生年: 寛政12(1800)年 没年:嘉永6.8.26(1853.9.28)年
江戸後期の医者,本草家。名は直大,浩然は通称。号は浩雪,蕈渓,桜子,香邨。父は和歌山藩医兼本草鑑定の坂本純庵。父に医学を,曾占春に本草学を学び,摂津高槻藩主永井氏に仕える。画をよくし,純庵の『百花図纂』や遠藤通の『救荒便覧後集』の図を描く。天保6(1835)年に刊行した『菌譜』2巻は食菌,毒菌,芝類計56種の図説で江戸時代の菌蕈の類書中もっともすぐれたものである。幕臣久保帯刀の麻布長者ケ丸の桜園のサクラ136品を写生した『桜譜』(1842)や,ユリ類30品を描いた『百合譜』を残した。種樹家増田金太郎とも親交があった。<参考文献>上野益三『日本博物学史』(坂本浩然 とは - コトバンクより)


本草家というのは、本草学をおさめた人のことで、本草学とは中国の薬物についての学問をいう。医者でもあったわけだから別に不思議ではない。

絵を見ると左手前にサイの角らしきものがある。古くから漢方薬として珍重されてきたと聞いているので、薬の一種として描かれたものだろう。

ただ、江戸時代にサイがいたのかどうかがわからない。ググってみたけど出てこない。

想像して、あるいは伝聞で描いたにしては正確に描かれている。オランダや中国から伝わった書物に書いてあったのか?

なんかモヤモヤする。同僚の獣医さんに聞いてみよう!


(ブログ画像は展示会サイトから転載させていただきました)

イナゴソースにカレー醤油、あなたならどっち?

635 東京でもイナゴソースを試飲 | 昆虫食彩館(昆虫料理研究会ホームページ)

昆虫食が話題になった時に、フィード購読をはじめたブログにこんなエントリーがあった(゚д゚)!「試してみたい」「いやムリ」何ともいえない不思議な感情が込み上げる。

ググってみると地元経済誌でも取り上げられている。
和歌山で「イナゴソース」試飲会-湯浅のしょうゆ蔵が製造 - 和歌山経済新聞

他にも結構とりあげられている。さすがに関心ひくんだろう。
安ければ…と思って醸造元のサイトを見てみたけどまだ載っていない。試飲段階だから出てはないか。それよりももっと気になる商品を見つけた!

カレーにかける専用の「カレー醤油」!!
卵かけご飯専用醤油があるんだから、あってもおかしくはないか。個人的にはカレーはソースなんだけどなぁ。でも、これは試してみたい!

湯浅醤油・金山寺味噌・ポン酢・紀州の梅干の製造・販売、丸新本家

http://marushin.ok.shopserve.jp/pic-labo/currysyoyu01.jpg

motoのオールナイトニッポン0「ゼロ」最終回

毎週楽しみにしていたmotoのオールナイトニッポン0が、今晩(明日の朝3時~5時)で終わってしまう。また一つ楽しみが減ってしまった。仕事で起きていられない時は録音し、通勤と帰宅途中に聴いていた。エリア外なのだが、あの手この手で何とか聴いていた。こういうのって、たぶん聴取率に反映されないんだよね。ほんとに残念。

YouTubeにアップされていたのは昨年4月、放送開始時の弾き語り。岩手から東京に出てくる前の正月につくり上げた曲。まさかその数カ月後に震災が起きるとは思いもしなかっただろう。

新曲買うぞ!

一揆の原理とはなにか?

2014年03月24日(月)呉座勇一「知られざる一揆の本質」Session袋とじ - 荻上チキ・Session-22に日本史研究家の呉座勇一さんがゲストで出演されていた。ツイッター與那覇潤先生に薦められて、ちょうど呉座先生の本を2冊買って読もうと思っていたところ。とても興味深く聴いたので、メモとして残しておこうと思う。

  • 一揆とはなにか?日本史で教えるとき「農民たちの権力側への抵抗」「打倒権力」といった感じで話をする。そう教えられた。しかし、最近の研究ではずいぶんと意味合いが変わってきてる。一揆は決して反体制ではなく、武士による統治を認めた上で、自分たちの権利を主張するものだったらしい。
  • 豊臣秀吉は刀狩りによって武士と農民の分離をおこなった。自分のように貧しい身分からの「下剋上」でのし上がるのを防いだわけだ。こんな感じで学校で習うので、私たちは江戸時代の農民たちは武器をもっていなかったと思い込んでいる。
  • 実際には鉄砲も刀も幕府公認で所持していたらしい。多くはイノシシなど害獣対策だった。だから本気で農民たちが反乱を起こせば鉄砲も刀も使うはず。なのに、一揆の時には農機具しか手にしなかった。
  • 一揆とは「武士の体制は否定していませんよ。ただ、その体制の中で私たちの権利をもうちょっと認めてくれませんか」という政治的デモンストレーションだといっていい。体制側との交渉なのだ。だから本気で怒らせる訳にはいかない。倒すことが目的ではなく、自分たちの権利を認めさせるものだ。だから「武士の魂」である刀を使えば本気で怒らせてしまうし、殺傷能力の高い鉄砲を使って相手を殺しても本気で怒ってしまう。それでは困ってしまう。
  • 時代劇でよく見ていた一揆といえば、農民たちが一斉に庄屋さんの家に襲いかかり、家を壊し蔵を襲いコメを奪い取るシーンを連想する。これも実際に一軒家全部を壊すことはなかった。「これ以上、俺たちを怒らせるなよ。今度やったらもっとひどいぞ」という脅しを使って、政治的駆け引きをおこなっていたのだ。
  • 幕藩体制での大名は雇われ社長のようなもの。領内で大規模な一揆が起こったりすれば管理責任を問われかねない。実際、これが原因で御取り潰しになった藩もある。だから、大規模な反乱は困る。そこに交渉の妥協点が生まれるわけだ。
  • ただ、政治的デモンストレーションとはいえ、一揆を起こした農民たちが全員無事というわけではない。リーダー格は処刑された。文字通り命をかけた交渉だったのだ。


これ以外にも「一揆」の本来の意味も語られていておもしろかったです。

ポッドキャストはたしか一週間で削除されてしまいます。興味があれば早めにダウンロードしておいてください。iTunesでもダウンロードできます。