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非常勤講師の日常-そろそろ真剣に次のステップへ-

一揆の原理とはなにか?

2014年03月24日(月)呉座勇一「知られざる一揆の本質」Session袋とじ - 荻上チキ・Session-22に日本史研究家の呉座勇一さんがゲストで出演されていた。ツイッター與那覇潤先生に薦められて、ちょうど呉座先生の本を2冊買って読もうと思っていたところ。とても興味深く聴いたので、メモとして残しておこうと思う。

  • 一揆とはなにか?日本史で教えるとき「農民たちの権力側への抵抗」「打倒権力」といった感じで話をする。そう教えられた。しかし、最近の研究ではずいぶんと意味合いが変わってきてる。一揆は決して反体制ではなく、武士による統治を認めた上で、自分たちの権利を主張するものだったらしい。
  • 豊臣秀吉は刀狩りによって武士と農民の分離をおこなった。自分のように貧しい身分からの「下剋上」でのし上がるのを防いだわけだ。こんな感じで学校で習うので、私たちは江戸時代の農民たちは武器をもっていなかったと思い込んでいる。
  • 実際には鉄砲も刀も幕府公認で所持していたらしい。多くはイノシシなど害獣対策だった。だから本気で農民たちが反乱を起こせば鉄砲も刀も使うはず。なのに、一揆の時には農機具しか手にしなかった。
  • 一揆とは「武士の体制は否定していませんよ。ただ、その体制の中で私たちの権利をもうちょっと認めてくれませんか」という政治的デモンストレーションだといっていい。体制側との交渉なのだ。だから本気で怒らせる訳にはいかない。倒すことが目的ではなく、自分たちの権利を認めさせるものだ。だから「武士の魂」である刀を使えば本気で怒らせてしまうし、殺傷能力の高い鉄砲を使って相手を殺しても本気で怒ってしまう。それでは困ってしまう。
  • 時代劇でよく見ていた一揆といえば、農民たちが一斉に庄屋さんの家に襲いかかり、家を壊し蔵を襲いコメを奪い取るシーンを連想する。これも実際に一軒家全部を壊すことはなかった。「これ以上、俺たちを怒らせるなよ。今度やったらもっとひどいぞ」という脅しを使って、政治的駆け引きをおこなっていたのだ。
  • 幕藩体制での大名は雇われ社長のようなもの。領内で大規模な一揆が起こったりすれば管理責任を問われかねない。実際、これが原因で御取り潰しになった藩もある。だから、大規模な反乱は困る。そこに交渉の妥協点が生まれるわけだ。
  • ただ、政治的デモンストレーションとはいえ、一揆を起こした農民たちが全員無事というわけではない。リーダー格は処刑された。文字通り命をかけた交渉だったのだ。


これ以外にも「一揆」の本来の意味も語られていておもしろかったです。

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